「すみません、まだこちらの予備校さんでは入学を受け付けていますよね?」
「はい、もちろんですよ」
「うちの娘なのですが、来年国立の大学に進学したくて…」
「わかりました、詳しく教えてください。まずはこちらへ」
案内されたのは●●予備校の面談室だ。
「まず、娘さんはセンター試験でどのくらい点数を取ったのですか?」
「お恥ずかしいのですが、大体…300点くらい…と聞いています」
「さ、300点ですか…」
「うちの娘、無理でしょうか?」
「…当予備校では…無理です…ね」
「ええ~、そうなんですか」
「はい…すみません。そういった点数の生徒はなかなか伸びなくて…」
「どうしたらいいでしょうか、何とかならないものなんですか?」
「1つだけ方法があります」
「それは何ですか、教えてください!」
「言いにくいのですが、ここの予備校ではなくて…」
「は、はい…??」
「北斗塾予備校さんに相談してみたらいいのではと思います」
「え、北斗塾予備校…ですか?」
「はい」
「それはどこにある予備校ですか?」
「それはですね…」
私もこの話を当事者であるお母さんに聞いたときに驚いた。
他の予備校を推薦する予備校講師がいるとは…と。
同時にその講師は誠実な人だなと思った。
現場で関わる講師が、本気で生徒と向き合って、
真剣に1年間指導してきたのに結果が出なかった。
そんな経験を何度かすると、
自分を責めたり、自分の非力さを痛感して、
辛くてたまらない気持ちになるものだ。
実際は、大半の生徒の成績不振は個別指導で解消できることが多い。
その予備校は集団授業をしているのだから、
もともと成績優秀である生徒は学力は伸びるが、
基礎学力がついていない生徒のほとんどは成績不振に陥る。
その誠実な講師に非があるとは思えない。
これは「指導システム」の問題なのだ。
ところで、塾や予備校をさがすときによくあるのだが、
大多数の合格実績を見せられると、
「うちの子も、もしかしたら…」
そう思う保護者の方が大勢出てくる。
親の子を思う心理が冷静な判断を狂わせるのは、
ある意味で仕方がないと私もわかってはいるが…。
「合格実績とは “ 他人の実績 ” だよ!」
私が自塾でよく生徒に言うセリフだ。
極端な例だが、
野球の大谷選手や将棋の藤井聡太くんの輝かしい実績を見て、
「うちの子もああなるかも…」
そう思ってもほとんどがそうなるものではない。
これならわかるのに、
予備校や塾になるとついつい「普通の生徒が…ああなった」、
そう思うのだが、
そこの塾や予備校が「集団授業」をしている限り、
その塾や予備校の合格実績に出てくる難関大学の合格者や、
国公立大学の医学医学科の合格者の学力は元々「普通」ではない。
実際のところ、塾や予備校に入る前からそもそも「優秀」なのだ。
要するに、
合格実績だけでそこの塾や予備校の実力が正確にわかるわけではないのだ。
成績優秀な生徒はどこの塾でも予備校でも関係なく、
ほとんどが順調に学力を伸ばしてフツーに翌年合格していく。
元来、大学受験において、
成績優秀な生徒とは「努力を継続できる者」なのだ。
環境(塾や予備校)では大きく左右されない。
ほとんどの生徒は自力で合格を勝ち取っている。
「じゃあ、どうやってそこの塾や予備校の実力を見抜くのか?」
その答えは、はっきりしている。